‘大河ドラマ「花燃ゆ」’ カテゴリーのアーカイブ

【臨江閣 ライトアップ】 2018年12月末日まで期間延長!

2018 年 3 月 8 日 木曜日

初代県令 楫取素彦、郷土の詩人 萩原朔太郎ゆかりの【臨江閣】、ライトアップ期間が2018年12月末日まで延長されました!

ライトアップアーティスト:髙橋匡太氏によるもので、臨江閣が完成した明治43年頃に流行した、新橋色(みどりがかった青)や茄子紺色などの色を使用して、 製糸産業が発展した「糸のまち」前橋が表現されています。


詳しくはこちらから前橋市からのお知らせをご覧ください。

2017-18 冬のイルミネーション・ライトアップ情報★

2017 年 11 月 5 日 日曜日

前橋市内各所のイルミネーション・ライトアップ情報をHP内でご紹介しております。暖かい服装で、お出掛けくださいね♪

★☆イルミネーション・ライトアップ紹介ページはこちらをクリック☆★

【支援作品OA情報】10/8(日)・15(日) BS朝日「百年名家」 【臨江閣】

2017 年 9 月 25 日 月曜日

BS朝日「百年名家」 にて【臨江閣】を取り上げていただきました。前・後編の2回、日曜の昼間の放送です。ぜひご覧ください!

【放送(予定)】
BS朝日  平成29年10月8日(日)ひる12:00~12:55
                15日(日)ひる12:00~12:55
百年名家
郷土愛が生んだ迎賓の館 ~天皇の御座所 前橋「臨江閣」前・後編~

【市内ロケ地】:前橋公園(みどりの散策エリア・園内日本庭園)、臨江閣、広瀬川沿い

【番組内容】
日本全国の歴史的建造物や伝統的民家を通し、日本の歴史文化や 建築技術の素晴らしさ、保存活用の意義を広く視聴者に紹介します。
「百年名家」とは長い歴史の中で今も生き続ける建物のこと。
実際に生活を支え続けてきた家屋のこと。
そこには日本の歴史文化に根ざした「知恵」が溢れています。
人々が受け継いできた物語があります。
俳優・八嶋智人と女優・牧瀬里穂の2 人が日本各地に遺された歴史的建造物を訪ねて未来へ繋ぐ「先人の教え」を学びます。
伝統的な町並みを歩いて保存にかける人々の思いに触れます。
詳しい番組情報はこちらから→http://www.bs-asahi.co.jp/100nen/

【臨江閣】がリニューアルオープン!9/1(金)~見学可能になりました。

2017 年 9 月 1 日 金曜日

臨江閣はこの度、全ての改修工事が終了し、本日9月1日から一般公開を再開しました!

臨江閣は近代和風の木造建築で、全体は本館・別館・茶室から成り、本館と茶室は県指定、別館は市指定の重要文化財となっています。
本館は明治17年9月、当時の群馬県令・楫取素彦(かとり もとひこ)や市内の有志らの協力と募金により迎賓館として建てられました。また茶室はわびに徹した草庵茶室で、京都の宮大工今井源兵衛によって明治17年11月に完成しました。
別館は明治43年一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられた書院風建築です。


別館1階には、お土産処かふぇあんきなHP☆が入り、前橋のおみやげを購入したり、当時の製法で淹れる「維新珈琲(萩焼茶碗付き)」などが味わえます。※維新珈琲の提供は9/4以降の予定
2階の大広間では、一部、床の構造を見ることもできるようになっていました。

本館では、昔の前橋市役所や群馬県庁、前橋城の模型や前橋城三の丸の遺跡なども展示しております。
別館の入口を入ってすぐ右手側に前橋市内の観光パンフレットと、臨江閣スタンプもあります。ぜひ記念にどうぞ☆
開館時間など詳しくはこちらから前橋市HPをご覧ください。
2018年12月末日までライトアップも実施中です。

「楫取素彦と松陰の短刀」銅像が前橋公園内に建立されました!

2016 年 8 月 30 日 火曜日

初代 群馬県令(現在の県知事)として群馬の発展につくした楫取素彦。
平成27年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の放映を契機に、楫取素彦の功績を顕彰し後世に伝えるため、多くの方々の協力のもと、製作された銅像が建立され、除幕式が行われました。なお、この銅像は観光資源として地域の活性化に寄与すべく前橋市へ寄贈されました。


 
楫取素彦は山口県萩市の出身で、吉田松陰とも親しく、互いに尊敬しあう仲でした。松陰が安政の大獄により江戸に贈られた際も、明治維新を進めた志士たちに大きな影響を与えた「松下村塾」のすべてを任せられるほど信頼されていた人物と言われています。

群馬県令就任後は、自らの足で県内を歩き、県民とともに群馬県の礎を築き「至誠の人」として慕われていました。それを支えたのが妻であり、松陰の妹であった寿です。

除幕式資料PDFデータはこちら★

 

 

 

 

「楫取素彦と松陰の短刀」
県令となった楫取は、特に教育と産業に力を入れていました。当時、生糸は日本の代表的な輸出品でしたが、横浜の外国商人が利益を独占していました。勢多郡水沼村(現在の桐生市黒保根町)に水沼製糸所を設立した星野長太郎は、生糸の直輸出を行おうと、楫取素彦に援助を嘆願、弟の新井領一郎をアメリカに派遣する計画を立てたのです。

渡米の際、楫取の妻で吉田松陰の妹・寿は渡米を夢見ながら果たせなかった兄松陰の形見であった短刀を「この品には兄の魂が込められているのです。その魂は兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができるのです。」と新井領一郎に託しました。

領一郎は、明治9(1876)年に渡米、ニューヨークを拠点に顧客の信頼を得て、生糸の販売に成功、日米貿易の基礎が築かれました。
また、長州の吉田松陰の魂は上州人によってアメリカに渡ったのです。

そのほか、楫取素彦と、寿・文ゆかりの地は、こちらの花燃ゆまち歩きマップをご参考になさってください。