「旅のたね」特集3 前橋の姫伝説

前橋に伝わる姫伝説の数々

人の住むところには、そこに伝わる数々の民話や伝説が残っています。
伝説は史実とは異なることも多く、歴史的には評価を異にすると言われていますが、その土地やそこに住む民衆の輪郭を知る意味では意義深いもののように思います。
今回は、前橋に伝わる伝説を集めて昭和49年に刊行した「前橋の伝説百話」や「神道集」などに掲載されている言い伝えの中から、姫伝説を集めてみました。
前橋を歩くとき、こんな言い伝えに思いをはせ、前橋の新旧の歴史をたどってみてはいかがでしょう。

TOP イラスト:澁谷安佐子
出典:「前橋の伝説百話」(前橋市観光協会/昭和49年発行)、「神道集」(平凡社/昭和42年発行)

お虎伝説

前橋城ゆかりの美女伝説
県庁の西、利根川を見下ろす河畔に、小さな六角堂があります。
この建物を「虎姫観音堂」といい、お堂の中には美しいお顔の観音様が祀られています。 この「虎姫観音(お虎観音)」には、悲しく恐ろしい「お虎伝説」と呼ばれる話が伝わっています。
虎姫観音堂
江戸時代、前橋の城主が酒井家だった頃、城中に「お虎」と呼ばれる美しい女子がおりました。 お虎は赤城山麓の農家の娘でしたが、その美しさと気立の良さは評判で、殿様が鷹狩りの際に見初め、城に召されました。お虎を気に入った殿様は、お虎をいつも身近において身の回りの世話をさせていたため、城中の奥女中たちの嫉妬の的になってしまいます。
ある日、美しいお虎を妬む奥女中たちは、お虎に罠をしかけます。殿様の食事に針をしのばせ、これをお虎に運ばせたのです。針に気づいた殿様は驚き、激怒します。何のことか全く分からずうろたえるお虎をしり目に、奥女中たちはすかさず、「お虎が殿様の暗殺を企んだのでございます」と嘘を告げたのでした。
罪を擦り付けられたお虎は、ヘビやムカデを詰めた木箱に押し込められ、生きたまま利根川の渕に沈められてしまいました。 お虎は木箱の中で「城を取りつぶして七代の城主に祟ってやる」とうめきながら、川の底に沈んでいったといいます。
その後、毎年秋には利根川は洪水になり、とうとう本丸まで川底に沈んでしまいました。人々はお虎の怨念にちがいないと、お虎の霊をお虎稲荷大明神として祀ったと言われています。
波
これとは別に、「お虎に心を寄せた家老が、貞操を守ってなびかないお虎を恨み、殿様に告げ口し、殿様の怒りをかってしまった」というお話もありますがいずれも悲しい結末となっています。
現在の六角堂は昭和42年に地域の人の寄付等により建設されたもので、お堂の中には150cmほどの愛らしい観音様と水の神である弁財天、幾重にもとぐろをまいたヘビの三像がまつられています。毎月7日が縁日で、いつの頃からか、ぼけ封じのご利益もあると言われています。
前橋の御城印
前橋の御城印

前橋の御城印

前橋ゆかりの城や戦国武将の御城印が続々

近年の日本では、神社仏閣を参拝した証しに頂ける「御朱印」がブームになっていますが、そのお城バージョンとも言える、「御城印」(ごじょういん)が、ここへきてブームの兆しを見せています。
最近の戦国武将人気により、ゆかりのあるお城を巡る人達が増え、「登城証明」である御城印を集める人が増えているのかもしれません。
ここ、前橋でも、様々な武将や城の御城印を手に入れることができます。
特に、前橋駅構内にある前橋市物産振興協会では、各種の御城印を取り揃えていて、一部はネット販売されています。興味のある方は、公式ホームページをチェックしてみてください。限定品が多く在庫は常に変化しますので、お出かけになる際は事前の確認をお忘れなく!

赤城の三姫伝説

その昔、履中天皇(5世紀前半に実在したと見られる)の御代、高野辺大将家成という公家がおりました。
ある時、無実の罪で、上野國勢多郡深栖(コウズケノクニセタグンフカヅ…現前橋市粕川町深津ともいわれる)という山里に流されてしまいますが、そこで、年月を過ごすうちに、大将と奥方の間に、若君一人、姫君三人が生まれました。
月日は経ち、成人した息子は母方の祖父を頼って、遠く離れた都へ上り仕官しておりました。三人の姫たちは深栖で両親と共に暮らしていたのですが、姫たち(淵名姫・赤城姫・伊香保姫)がそれぞれ十一歳、九歳、七歳の時に母君が亡くなってしまいます。父家成は、その年の秋に世間の習慣に従い後妻を迎え、新しい妻との間にも一人の娘が産まれます。
その後、大将は罪を許され都に戻ると、それぞれの乳母の元で成長する三人の娘たちに婿を選び知らせました。これに嫉妬した継母は、実弟の更科次郎兼光をそそのかして先妻の娘たちの殺害を計画するのです。
赤城神社
兼光はまず、姉姫である淵名姫を利根川の倍屋ヶ淵に沈めて殺してしまいます。
次女の赤城姫も追われ、赤城山に逃げ込み迷っていたところ、赤城の沼の龍神が現れ「この世は、命はかなく夢・幻のようであります。竜宮城という、素晴らしい処へと姫君を案内します。」と言って姫を助けてくれました。姫はその後、龍神を継いで、赤城大明神となります。
末の伊香保姫は、伊香保太夫の居城に護られなんとか生きながらえることができました。

事件を知った大将・家成は、慌てて戻ります。しかし時すでに遅く、淵名姫の亡くなった淵で神となった淵名姫と再会し、悲しみのあまりこの淵に入水してしまいます。 都で出世していた息子は、この知らせを聞き軍勢を率いて戻り、兼光を殺し、継母らを捕らえますが、仮にも一時は母であったという理由で、殺さずに、継母の出身地・信濃へ追放しました。信濃へ戻った継母は、甥を頼りますが、甥に捨てられ死んでしまいます。この、甥が叔母である継母を捨てた山が、姥捨山と言われています。

事件を収拾させた息子は、淵名姫の死んだ淵に淵名明神の社を立てます。その後、大沼の畔で、神となって一羽の鴨の羽に乗った妹、淵名姫・赤城姫と再会します。(この鴨が大沼に留まり、島となったのが、現在赤城神社のある小鳥ケ島)その後、大沼と小沼の畔に、神社を建て(赤城神社・小沼宮)、神々をお祀りしたそうです。 その後兄は都に戻り、伊香保太夫が国司の後見(代理職)を務めました。伊香保は領地が狭いため、伊香保姫は群馬郡内の自在丸という処所(現上野総社神社あたり)に住んでいたそうです。
姫守り
この言い伝えがもとなのでしょうか、現在も赤城山大沼、小鳥ヶ島に建つ赤城神社は「女性の願いがかなう」とされ、たくさんの女性参拝者が訪れています。
 

お艶ヶ岩

前橋に残る淀君伝説
前橋市内敷島公園内にあるボート池には、赤みを帯びた大きな岩があり、「お艶が岩(おえんがいわ)」と名付けられています。 「お艶」は女性の名前で、ここには彼女にちなんだ悲しい伝説が残っています。
その昔、お艶という美しい娘が、利根川の対岸に住む青年に恋をしました。はじめは川を越えて会いに来ていた青年ですが、次第に熱が冷め、ついには姿を現さなくなってしまいました。お艶はこれを悲しみ、この岩から恋人の名を呼びつつ身を投げたと言います。

これとは別に、この岩にはもう一つ別の伝説が残っています。 それによれば、「お艶」は実は〝淀君〟だったというのです。淀君といえば豊臣秀吉の側室で、慶長二十年(一六一五)大阪夏の陣に際し、わが子秀頼とともに大阪城の天守閣で炎の中、自刃したと伝えられています。 ところが、実は淀君は、大阪夏の陣に出陣した総社城主秋元長朝の陣に助けを求め、長朝は淀君を篭に乗せ木曽路を通り、ここ前橋市(現在の総社町)につれて帰ったというのです。 もちろん当時、淀君をかくまったと知れては大変なことですから、〝大橋の局御縁〟と呼んでいました。 この城でなに不自由なく過ごしていた淀君でしたが、過去の悲哀に耐えきれず、遂には世をはかなんで、この岩の上から利根の激流に身を投じたといいます。
この〝御縁〟が語りつがれていくうちにいつしか〝お艶〟にかわり、だれいうことなく、この岩を〝お艶が岩(おえんがいわ)“と呼ぶようになったといいます。今でも、 総社町にある元景寺には、〝淀君の墓〟といわれるお墓があり、淀君が使ったという、お篭が残っています。

姫伝説マップ

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読んでみたい本
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前橋の歴史をまとめた前橋市観光協会発行図書

当協会の前進である「前橋市観光協会(昭和30年発足、平成18年に現協会に統合)」では、前橋市と連携して、数々の書籍を発行していました。これらの書籍は、前橋市立図書館の郷土資料館などで閲覧することができます。
在庫は少なくなっていますが、そのうちの2冊、市政施行100年を記念して発行された「まんが前橋の歴史」や、前橋の伝説百話を始めとする前橋の様々な逸話をなどをまとめた「風のふるさとまえばし」は、現在も協会事務局の窓口で購入することができます。 歴史に興味をもった方は、この機会に紐解いてみてはいかがでしょうか。

まんが前橋の歴史      450円
風のふるさとまえばし 1,300円