前橋の寺町

現在の三河町、本町三丁目界隈、国道50号を挟んだ南北エリアは、前橋城下の寺町として多くの寺院が置かれた場所です。城下を囲うように配置された寺院群は城防御の役割もあったと言われています。
寺院の並ぶ馬場川沿いの細い路地は古き良き時代の前橋を彷彿とさせます。
駅や市街地からも至近なのでぶらり散策にはうってつけのエリアです。

城下町前橋の概要

城下町として発展した前橋
江戸幕府の老中・大老を務めた酒井氏15万石の城下町として発展した前橋町は、商人頭木嶋氏の住む連雀町を中心に、江戸道・沼田街道に沿って、町が形成されました。
当時の町名をみると、連雀町、鍛冶町、紺屋町、本町など、城下町に共通する町名があったのがわかります。また、町の西に位置する城の北、東、南には、城の出丸としての意図を含んで、たくさんの寺院が配置されていました。
再築された前橋城が廃城となった明治時代になっても、城下の各町は江戸時代と大きな変動がなく存続していましたが、昭和40年代に行われた町名変更により、現在の町名・区域割りとなりました。
 
前橋城下の復元図
前橋城下の復元図

前橋城下の復元図

城下を思い描く貴重な資料

トップの画像として使われている「前橋城・前橋町復元図」は、平成元年に前橋市観光協会(現前橋観光コンベンション協会)と前橋市文化財保護課が共同で作成したリーフレット「関東の華・前橋城」に使用されたもので、城内を貞享4年(1687年)の前橋城絵図(前橋市立図書館所蔵)、城外を文政4年(1821年)の前橋町絵図(勝山敏子所有・群馬県立文書館寄託)をもとに作成されたものです。(前橋市が昭和63年12月に発行したリーフレットの修正版)
尚、この「関東の華・前橋城」リーフレットは、現在は資料として残るもの以外は在庫がなく配付を終了しています。
※リーフレットが印刷された当時は版がデジタルではなく、印刷の原版は版元に残っていないとのことです。

城郭の内外に残る寺院

城の縄張りを偲ばせる寺院群
前橋(厩橋)城の概要
前橋(厩橋)城の概要

前橋(厩橋)城の概要

前橋(厩橋)城は、戦国群雄の争点となった城を原型として増補改修を重ね、小田原北条氏、平岩氏時代を経て、酒井忠世・忠清の代に総坪数15万余坪の城郭として完成しました。
城は、江戸を守る北関東のおさえとして、また利根川を利用した要塞堅固の烈郭式(縦横方向に曲輪を並べた様子)の縄張りをもつ城として、宇都宮、川越、忍と並んで関東の四名城の一つに数えられたと言われています。
その築城は、15世紀末、箕輪長野氏一族の長野左衛門尉方業(固山宗賢)によるとされている。しかし、17世紀後半になると利根川の洪水により城の崩壊が進み、18世紀には酒井氏の転封、松平氏の川越への移城を迎え、明和6年(1769年)に三重櫓の天守閣、大手門などが取り壊され、廃城となりました。
(文:関東の華・前橋城より)